2011年12月20日火曜日

自転車の標識が目につく今日この頃です。

昨今、自転車の走行マナーや事故に関する報道が多くなりましたが、識者は、概ね東日本大震災以降、エコ意識が高まり自転車の利用が増えたせいもあると断じています。そこで、我が街の道路事情を観察
してみると、命を守るための具体的な施策が進みつつある状況と言えます。

この標識は実は随分と前から存在しており、最初に見た時から「面白い標識」と思い近辺の交差点を見て回りましたが、少なくても徒歩圏では見つかりませんでした。

一時停止マークの支柱にラベルが貼ってあり、赤地に白抜きの文字で縦に「自転車も止まれ」と書かれており、その下に横書きで「けいさつ」と書いてあります。

そうだ一時停止マークは自転車も適用なんだと改めて認識させる、気になる標識です。

この歩道は、植栽を入れると幅5mくらいあります。

一年ほど前に歩道と自転車道が白線で分離され、車道側が自転車専用になり
ました。

人と自転車との接触事故が社会問題化した頃だったと記憶しています。


これは、この夏に開通したばかりの道路がJR東北本線と立体交差している「アンダー」と呼ばれる部分です。

人と自転車とは分離されていませんが、自転車と車は完全に分離されています。

将来の、人と自転車が分離できる余地を残しています。

2011年12月16日金曜日

僅か百円で買える掛け時計を知っていますか?

白く見えるものは、素材そのものが白い、白い塗装が施されている、表面の加工の仕方で白く見えるなど多様ですが、ここでは、扱われているマーケットや価値観は全く異なるも、どちらも白いプラスチック素材を外装にした対極の秀れもの二点を紹介します。


これは、ワンコイン百円の掛け時計です。質感が解るよう、映り込みを排除しないで撮影しました。

二本で百円のM社製乾電池を買うため
ダイソーを訪れた際に見つけました。

一辺が16.5cmの正方形で、筐体が鏡面仕上げされたアナログ表示の時計です。

僅か百円のQUARTZ時計が、五十円の
単三アルカリ乾電池一本を原動力に、休むことなくチッチッチッと時を刻みます。

然しながら、複雑な仕組のアナログ時計を百円で売ってもペイするような日本の経済構造には不安を感じます。



これは、I・O DATAから発売されている
USB接続の大変コンパクトな据え置き型
ハードディスクですが、外装は白色で渋い無光沢仕上げになっています。

I・O DATAが提供するソフトウェア「HDD
ロック」と連携し、パソコンの電源を切るとハードディスクは自動的にロックします。

拠って、このハードディスクをアンロックの状態で離席したりパソコンを切り忘れない限り、ハードディスク内の情報が他の人に閲覧されることはありません。

また、この外付けハードディスクが盗難に遭ったり持ち出されても他のパソコンでは認識できず、分解してドライブを取り出したとしても認識は不可能です。



《2011/12/19 追記》

これは、同じI・O DATE製の携帯型USBハードディスクです。「HDDロック」を導入すればセキュリティが保たれます。

但し、最近ではUSBメモリーが大容量化してきたためか、携帯型のUSBハードディスクを見掛けることは少なくなりました。

尚、携帯用USBハードディスクの筐体は、プラスチックではなく堅牢な金属が使用
されています。

2011年12月10日土曜日

広角域ズームレンズでネイチャー撮影。

スケールが大きい風景をダイナミックに切り取るには広角レンズは外せませんが、一眼レフである必要はありません。我々アマチュアは、遠出の際の予備も考え、取り回しが楽なコンパクトデジタルカメラ二台で運用するのがベストでしょう。


このカメラ(Caplio GX)は、2004年にRICOHから発売され、有効画素数513万画素でした。

35mmカメラ換算で28~85mmの広角域ズームレンズを搭載しています。

当時はレリーズタイムラグが世界最速で、外部フラッシュが連動するホットシューを装備しているのがウリでした。

このカメラ(DMC FX01)は、2006年に松下電器(当時)から発売され有効画素数600万画素でした。

35mmカメラ換算で28~102mmの広角域ズームレンズを搭載しています。

手振れ補正ジャイロ を搭載した、光学式の強力な手振れ防止装置が付いています。





これは、Caplio GXによる焦点距離28mmでの作例です。














余談ですが、カメラは撮影現場での取り回し中に落とすことが多いと言われています。ストラップ選びにも拘りを持って、大切なカメラを守りましょう。

2011年12月7日水曜日

琵琶池に今年も白鳥が来ました。

大田原市にある琵琶池には、十一月の始め頃になると白鳥が現れ二月の終わり頃まで、たくさんの鴨の仲間と一緒に冬を過ごします。今年も十一月八日に最初の白鳥が飛来したと風の便りがあり様子を見て来ました。

琵琶池は、元は沼沢だったものを江戸時代の終わり頃に灌漑用として堰きとめられ、その後も幾多の造営が重ねられ白鳥が飛んで来るような豊かで大きな池になったそうです。

これは対岸から見たものですが全体像は一カットには納まりません。白鳥は未だ七羽しか見られませんが、昨年は最終的に八十羽も飛来したそうですので今後が楽しみです。

白鳥は陸に上がって来ませんが、鴨は陸上も集団で闊歩し人が近寄っても
逃げません。

水面には数え切れないほど多くの鴨と七羽の白鳥が仲良く浮かんでいます。

これは陸の鴨から水面の白鳥を見たものですが、
明らかに鴨の密度が高いことが分かります。

また、鴨を鴨と一言で呼ぶのはここでは失礼で、羽の色を見ただけでも黒い羽や白い羽や茶色の羽・・・・、もっとあります。

種類ごとに写真を撮り一覧表にしたら楽しいと思うのですが、今のところは思うだけにしておきます。


所要で稚内へ行った折、五千羽くらい居ますという湖へ案内されました。そりゃあもう見渡す限り白鳥で、いくら美しい鳥でも余りに多いと言葉を失い、ただただ驚く以外ありませんでした。

ここ大田原の琵琶池は無名で白鳥の数も少ないですが、白鳥と鴨が仲良く静かに暮らしている風景には懐かしい何かを感じます。それは訪れた人にしか解りません。

2011年12月2日金曜日

簡単な準備で出来る小物の撮り方です。

ホームページやオークションに掲載する物品の写真は見栄えが良いことに越したことはありません。それなりの部屋と、それなりの照明と、それなりの設備があれば、それなりの写真が撮れますが、ほんの少しだけの出費と、ほんの少しだけの努力で、そこそこの写真が撮れる方法を紹介します。

左が基本構成です。必ずカメラの背面が窓側です。

広めの机か台の上に白い厚手の敷布を広げます。
敷布は後方が高くなるよう小箱などで背当をします。

写真機店などで、小型の三脚を購入します。因みに左のものはCANON製で三千円程度でした。

カメラは、ご使用中のもので良いですが、安定性からカード大が最適です。




テクニック

照明しなくても微妙なコントラストが得られるよう、撮影は、朝、太陽の光が射し込む前がベストです。フラッシュは「禁止」に設定します。影を付けたい方向になるよう、敷布、物品、カメラの向きを微調整します。

光のコントラストとジャスピンがキモですから、手振れ補正が付いているカメラでも絶対に手振れが起こらないよう慎重にシャッターボタンを押します。慣れるまではセルフタイマーを使うことをお奨めします。

右は撮影した画像ですが既に太陽が上がり過ぎています。天気の良い日は、もう少し早起きする必要があります。

画像を補正する際は敷布の色に注意してください。

撮影した物を切り抜いたり合成したい時は、敷布の色を淡い紺か緑に交換すると作業が楽で良い仕上がりになります。

2011年12月1日木曜日

NHKチャリティコンサートに出演中の島津亜矢さん。

チャリティとの事前案内に釣られ、11月29日のNHKチャリティコンサートを見ていたら島津亜矢さんが出演していました。彼女のことは全く知りませんでしたが、俵星玄蕃を一気に歌い上げるスケールの大きさは筆舌に尽くしがたく、しばし、その迫力に圧倒されました。

この写真は、その日に放送された画面の一部をコンパクトデジタルカメラで撮影したものです。

YahooJapanMusicによりますと、デビュー時には作曲家の高木東六氏に「末恐ろしい」と評され、歌手の藤山一郎氏に「日本の演歌の財産だ」と言わしめたそうですが、むべなるかなと思った次第です。




彼女は類まれなエンターテイメントであることは確かですが、この曲は演歌でありながら浪曲の要素も多分に含まれており、あの迫力ある臨場感は連携するオーケストラの力量もあってこそ最大限に引き出されるのではないかと感じました。

この日のチャリティコンサートは前橋市で開催されており、オーケストラは前橋交響楽団と紹介されました。ホームページによると、団員は20代~50代の社会人の方を中心に主婦や学生も所属されており、仕事や家事や勉学の合間を縫って練習しているそうです。

事前に打ち合わせされているとは言え、この曲を始め他の出演者の多彩なジャンルにも対応できる実力に頭が下がります。

人間の能力や努力とは何と凄いことか。

2011年11月27日日曜日

冬なのに紫陽花が咲いてるよ。

一週間ほど前だったか、裏庭で茂ったまま放置していたアジサイが、灯油を運ぶ際に邪魔になるため刈り取ろうとしたら、冬だというのに何輪かの花が葉っぱの陰に隠れるように咲いていました。

ここのアジサイは確か梅雨の終わりか夏の始め頃に咲いていて暑くなった頃には葉っぱのみになっていた筈でしたが、今年の天候不順は花にとっても災難だったようで今頃になって咲くのもありなのでしょうか。

白く、か細く、流石に鮮やかとは言えませんが、咲いている場所が軒下で外壁に密着しているせいか、萎れる気配は全く無く頑張っています。

花を付けている枝と、風除けのために近くの枝を数本残し見守ることにしました。







次いでに近くの歩道の植え込みの隙間から顔を出している二点の菊を紹介します。夏の終わり頃に、ごく近くに色々な菊が咲いていましたので、風に飛んだ種子が植樹の中へ入り込んだのでしょうか。

インターネットで調べてみましたが、この鮮やかで美しい菊の名前は判りませんでした。











この菊も背景の植樹に白色の花びらが映え、とても目立ちました。

インターネットで調べてみましたが、この菊も、「白い菊」という括りしか見当たりませんでした。

2011年11月23日水曜日

LeicaM3 or Aires35ⅢC

これは、十年ほど前、日光いろは坂へ紅葉見物に出掛けた際の帰り道、東武日光駅近くの観光みやげ物店へ立ち寄った際に、お店の片隅のガラスショーケース内に飾ってあったカメラの中の一台です。


店員さんの話では、みやげ物店へ置くのは相応しくないと思うが、店主の道楽で月に一度か二度、東京や横浜へ出掛け勝手に仕入れて来るので扱っているとのことでした。

当初はレンズ付ライカM3だと思い値札の二十万円は妥当かなと手に取って良く見ると、Aires35ⅢCと刻印があり価格も二万円を見間違えたことに気がつきました。


全く知らないメーカーのカメラではあるが丸味を帯びた上品なデザインで、ボディに傷や打痕は無くレンズやファインダーにも汚れやカビが見当たらないことより連れて帰ることにしました。

帰宅後、調べてみると東京都豊島区高田南町に存在していたアイレス写真機製作所から1958年に発売
されたカメラで、メーカーは工場の火災が因で1960年に無くなっていることが判りました。

右は、金属製の専用フードケースを装着して真上から見たものです。

ほぼ平らな面に、フィルム巻き上げレバー、シャッターボタン、アクセサリーシュー、巻き戻しクランクが配置されています。

レンズ部を含め何れのメッキ処理も秀逸で、製造後五十三年も経った今も輝きを失っていないのは驚き
です。



左は背面と底蓋です。

底蓋を外してから裏蓋を開ける構造は、LeicaM3と似て異なるものですが、ライカを意識したものであることは否めません。

このカメラはライカに良く似ていますが、心地よい手触りや精巧かつ緻密な仕上がり、静かで上品なシャッター音などは単にライカを模したのではなく、ライカを超えたカメラを目指したのではないでしょうか。

2011年11月16日水曜日

スナップショットは写真力の原点

スナップショットとは極く日常の出来ごとを一瞬の画像として切り取った写真を言いますが、それは、当然のことに動いている被写体が多く写すほうも動いている場合が多いですから、シャッターを切るタイミングとピント合わせが難しいジャンルです。

スナップショットはスポーツと同じで繰り返し鍛えること、即ち撮って撮って撮りまくり腕を上げるしかありませんが、フィルムカメラはフィルムを入れ替える手間とかランニングコストが高いなど無限に撮る訳にはいかなかったことより、カメラは出来るだけコンパクトで操作が簡単なことが失敗を少なくする秘訣でした。

フィルム時代、我が要件に適っていた二台のカメラです。
中央は大きさを比較するための、カードサイズのデジタルカメラです。

左は79年に発売されたPENTAX MV/1です。小型軽量で、露出は絞り優先オートのみでした。

右は85年に発売されたMINOLTA α7000です。
オートフォーカスは、取り回しの悪さを補って余りある画期的な機能でした。


状況が劇的に変わったのはデジタルカメラの登場でした。撮影した画像をパソコンに取り込めばメディアを増やす必要も無く印刷しなければ紙代もかからないためランニングコストがゼロになったのです。デジタルカメラを本格的に導入したのは画素数4MegaのCCDを搭載したKONICA KD400を発見した02年です。

中央は大きさを比較するための、カードサイズのデジタルカメラです。

左は04年に発売されたKONICA G600です。画素数6Megaで書き込みが早いのが特長です。

右は07年に発売されたOLYMPUS SP550UZで、画素数7.2Mega、光学ズーム18倍と手振れ防止が特徴です。

この二台は今も現役です。今や、もっと小型で、もっと軽く画素数も10Mega超のカメラが溢れていますが、スナップ写真には小さ過ぎず軽過ぎず何といっても使い慣れたカメラが一番です。撮って撮って撮りまくることで身体がシャッターチャンスを覚えこみ、その瞬間をジャスピン画像で切り取れるようになるのです。

そうそう、忘れるところでしたが、我が子でもいい、孫でもいい、三歳から五歳くらいの子供の写真を撮り続けることです。追いかけっこに疲れますが写真力は絶対に上がります。ストラップは装着し撮影時には必ず手首に通しましょう。

2011年11月15日火曜日

ド根性花 2題です。

先ずは、この花は愛犬との散歩道の周回コースの行き順路で一ヶ月ほど前に見つけていたものですが、何度か通るうちに人の手で植えたものとは何か異なる「違和感」を覚え、根っこの部分を仔細に観察してみると、民家の石塀とアスファルト道路が接している僅かな隙間から生え出していました。

家内の趣味仲間に写真を見せたところ、この美しい花の名称は直ちにマリーゴールドと判明しました。

原産地はイギリスかフランスのようで、民家から飛んできた種が塀と道路の隙間から地中に入り発芽したと推測するも、近くには見当たらないため遠くから風に乗って運ばれて来たようです。




この花は、春蒔けば夏に開花する一年草だそうですが、何処かの民家で夏に咲いた花の種が、今年は雨が多かったせいか、この窮屈極まりない場所で二度目の発芽、秋の開花につながったのでしょうか。

そうであれば他にも咲いている筈だと思い町内を探してみると、一キロメートルほど離れた空き地に数え切れないほど多くのマリーゴールドが群生しており、偶然にも一輪の花に一匹の蝶が蜜を吸っている場面に出くわすことにつながりました。

この蝶はマリーゴールトに良く似た色をしており、調べてみると紋黄蝶(鱗翅目シロチョウ科)のようです。













次は、我が家の車庫で育つ黄色い花です。車庫は舗装したままで土盛りはしていません。

この花はノゲシです。キク科の一年草でハルノノゲシともいわれます。

左は、花を正面から見たものですが、茎は舗装面と植木鉢との隙間から生えています。

右は、植木鉢を退けて花を後方から見たものです。
根っこが舗装面に貼りついており、どうやら、植木鉢から染み出す水分を糧に発芽・育ったようです。


自然の営みとは、力強くて不思議なものです。

【2012/07/29 続編を追記しました】
http://omoitsukisimotsuke.blogspot.jp/2012/07/blog-post_29.html

2011年11月12日土曜日

スタジオアリスについて語ってみよう

娘の息子(即ち孫)が11月17日に五歳になります。

嫁いでいる娘から、七五三のお祝いと専門店(スタジオアリス)で記念撮影をするからとの連絡がありましたので、10月の或る日曜日に一時間半もかけて嫁ぎ先まで出かけてきました。

実はスタジオアリスには娘の娘(孫娘)が三歳の時と七歳の時にもお世話になっていましたが、その際にはそこそこ高くつくものだなとの印象が残っただけで取り立てて感動した記憶はありませんでした。

今回、衣装合わせから撮影まで他のお客様の撮影風景も見物しながら順番を待ってみて、プロの仕事は我が自己流のスナップ撮影とは随分と違うものだということに気がつきました。

感心したのは衣装の多さや充実した設備のことではありません。

三歳や五歳を迎える子供がカメラの前で思うような顔をしてくれる筈は決してありません。ところが、台車に乗せた自在に動く大きなデジタルカメラを操るお姉さん(そうです女性カメラマン)が間断なく子供たちに語りかける言葉と仕草に、時には幾つかの小道具を見せ、その合間を縫って切るシャッターが実に絶妙なタイミングなのです。

我々普通のアマチュアは、「ハーイ笑ってね」と言ったら、笑った瞬間に遅れてはならじと慌ててシャッターを切っています。スタッフのお姉さんは子供が笑っても微動だにせず我々からすれば遅れたと思う、一呼吸置いてからフラッシュが光ります。

結果は、誰が見ても申し分のない顔をした、おぼっちゃま、おじょうさまに仕上がっていることは言うまでもありません。何であれ、その道を極めたプロは凄いという話です。

スタジオ内でのスチルカメラの使用は禁止されていますが動画の撮影は咎められません。昨今の携帯電話であれば、動画をスチル画像に切り取っても実用に足る画質が得られますので本当は撮影風景を掲載したいところですが、スチルカメラのみ禁止されている真意が推し測れず見送ることにしました。

2011年11月5日土曜日

ギミックなカメラ α9000について語ろう


このカメラは1985年にミノルタカメラ(当時)から発売され、その性能の高さと先進性でαの衝撃として話題になったオートフォーカスカメラα7000の、上位機種に当たる準プロ用のカメラです。

何がギミックかというと、


一番目は、オートフォーカス方式一眼レフカメラのフィルム巻き上げは自動が常識の中で、このカメラは手動巻上げでした。(勿論、オートワインダーを装着すれば自動巻上げになります)

二番目は、手動巻上げですから当然のことに巻き戻しも手動式ですが、当時、一般的だったクランクは見当たらず、露出測光方法を変更するための丸いノブを上方に引き上げるとクランク状に動くという凝ったものでした。


三番目は、グリップ部分です。

オートフォーカス方式になるまでは余り目だたなかった部位ですが、このカメラは、専用の電池フォルダーに二本の単三乾電池を詰め込んでから大きく張り出したグリップへカチンと納める楽しい仕掛けです。










これら三つの操作が加わることにより他メーカーのオートフォーカスカメラとは一線を画したデザインで、
その姿は優美でありながらも不敵な面構えだったことより、比較的新しい年代のカメラにもかかわらず
多くのクラシックカメラファンに愛されています。

この個体は、正常に動作し撮影できます。


2011年11月1日火曜日

日本製テレビは無くなるのか。

10月31日の報道ステーションで、パナソニックがテレビ事業の縮小を表明したとの報道とともに、今後は
国内の日本製テレビの販売は少なくなるのではないかとの見通しが示されました。

果たしてそうでしょうか。

国内の家電量販店の多くは、販売価格が一定の値段を超える商品に長期保証を付けています。これは、
3~5年くらいの使用中に発生する万一の故障に対しユーザーに安心を担保するための営業政策と考えられますが、実は、このことはメーカーの品質保証上にも極めて大きな影響を与えているようです。

販売店が長期保証を付加するためには保障期間内に発生した修理費用を自前で負担するか保険会社と契約するしかありませんが、何れにしても負担の目安を設定し厳格に管理されている筈で、結果として、
販売する側が、メーカー別、品種別、機種別に極めて正確に品質の実態を把握することが可能だろうと思われるからです。

一方、メーカーは市場へ出荷された後の自社製品の品質を把握することは可能ですが、自社の品質ポジションを知ることは困難です。拠って、販売店が実施する長期保証により販売店が知り得た品質データは各メーカーへの有形無形のプレッシャーにつながり、日本メーカーの家電製品の品質向上に貢献していることは間違いありません。

以上より、パイは小さくなるかもしれませんが売る側の「安くても品質の悪い製品は売らない」という姿勢、買う側の「高くても品質の良い製品を買う」という国民性がある限り、今後とも日本製テレビの販売比率は下がらないと思うのですが如何でしょうか。