2011年11月27日日曜日

冬なのに紫陽花が咲いてるよ。

一週間ほど前だったか、裏庭で茂ったまま放置していたアジサイが、灯油を運ぶ際に邪魔になるため刈り取ろうとしたら、冬だというのに何輪かの花が葉っぱの陰に隠れるように咲いていました。

ここのアジサイは確か梅雨の終わりか夏の始め頃に咲いていて暑くなった頃には葉っぱのみになっていた筈でしたが、今年の天候不順は花にとっても災難だったようで今頃になって咲くのもありなのでしょうか。

白く、か細く、流石に鮮やかとは言えませんが、咲いている場所が軒下で外壁に密着しているせいか、萎れる気配は全く無く頑張っています。

花を付けている枝と、風除けのために近くの枝を数本残し見守ることにしました。







次いでに近くの歩道の植え込みの隙間から顔を出している二点の菊を紹介します。夏の終わり頃に、ごく近くに色々な菊が咲いていましたので、風に飛んだ種子が植樹の中へ入り込んだのでしょうか。

インターネットで調べてみましたが、この鮮やかで美しい菊の名前は判りませんでした。











この菊も背景の植樹に白色の花びらが映え、とても目立ちました。

インターネットで調べてみましたが、この菊も、「白い菊」という括りしか見当たりませんでした。

2011年11月23日水曜日

LeicaM3 or Aires35ⅢC

これは、十年ほど前、日光いろは坂へ紅葉見物に出掛けた際の帰り道、東武日光駅近くの観光みやげ物店へ立ち寄った際に、お店の片隅のガラスショーケース内に飾ってあったカメラの中の一台です。


店員さんの話では、みやげ物店へ置くのは相応しくないと思うが、店主の道楽で月に一度か二度、東京や横浜へ出掛け勝手に仕入れて来るので扱っているとのことでした。

当初はレンズ付ライカM3だと思い値札の二十万円は妥当かなと手に取って良く見ると、Aires35ⅢCと刻印があり価格も二万円を見間違えたことに気がつきました。


全く知らないメーカーのカメラではあるが丸味を帯びた上品なデザインで、ボディに傷や打痕は無くレンズやファインダーにも汚れやカビが見当たらないことより連れて帰ることにしました。

帰宅後、調べてみると東京都豊島区高田南町に存在していたアイレス写真機製作所から1958年に発売
されたカメラで、メーカーは工場の火災が因で1960年に無くなっていることが判りました。

右は、金属製の専用フードケースを装着して真上から見たものです。

ほぼ平らな面に、フィルム巻き上げレバー、シャッターボタン、アクセサリーシュー、巻き戻しクランクが配置されています。

レンズ部を含め何れのメッキ処理も秀逸で、製造後五十三年も経った今も輝きを失っていないのは驚き
です。



左は背面と底蓋です。

底蓋を外してから裏蓋を開ける構造は、LeicaM3と似て異なるものですが、ライカを意識したものであることは否めません。

このカメラはライカに良く似ていますが、心地よい手触りや精巧かつ緻密な仕上がり、静かで上品なシャッター音などは単にライカを模したのではなく、ライカを超えたカメラを目指したのではないでしょうか。

2011年11月16日水曜日

スナップショットは写真力の原点

スナップショットとは極く日常の出来ごとを一瞬の画像として切り取った写真を言いますが、それは、当然のことに動いている被写体が多く写すほうも動いている場合が多いですから、シャッターを切るタイミングとピント合わせが難しいジャンルです。

スナップショットはスポーツと同じで繰り返し鍛えること、即ち撮って撮って撮りまくり腕を上げるしかありませんが、フィルムカメラはフィルムを入れ替える手間とかランニングコストが高いなど無限に撮る訳にはいかなかったことより、カメラは出来るだけコンパクトで操作が簡単なことが失敗を少なくする秘訣でした。

フィルム時代、我が要件に適っていた二台のカメラです。
中央は大きさを比較するための、カードサイズのデジタルカメラです。

左は79年に発売されたPENTAX MV/1です。小型軽量で、露出は絞り優先オートのみでした。

右は85年に発売されたMINOLTA α7000です。
オートフォーカスは、取り回しの悪さを補って余りある画期的な機能でした。


状況が劇的に変わったのはデジタルカメラの登場でした。撮影した画像をパソコンに取り込めばメディアを増やす必要も無く印刷しなければ紙代もかからないためランニングコストがゼロになったのです。デジタルカメラを本格的に導入したのは画素数4MegaのCCDを搭載したKONICA KD400を発見した02年です。

中央は大きさを比較するための、カードサイズのデジタルカメラです。

左は04年に発売されたKONICA G600です。画素数6Megaで書き込みが早いのが特長です。

右は07年に発売されたOLYMPUS SP550UZで、画素数7.2Mega、光学ズーム18倍と手振れ防止が特徴です。

この二台は今も現役です。今や、もっと小型で、もっと軽く画素数も10Mega超のカメラが溢れていますが、スナップ写真には小さ過ぎず軽過ぎず何といっても使い慣れたカメラが一番です。撮って撮って撮りまくることで身体がシャッターチャンスを覚えこみ、その瞬間をジャスピン画像で切り取れるようになるのです。

そうそう、忘れるところでしたが、我が子でもいい、孫でもいい、三歳から五歳くらいの子供の写真を撮り続けることです。追いかけっこに疲れますが写真力は絶対に上がります。ストラップは装着し撮影時には必ず手首に通しましょう。

2011年11月15日火曜日

ド根性花 2題です。

先ずは、この花は愛犬との散歩道の周回コースの行き順路で一ヶ月ほど前に見つけていたものですが、何度か通るうちに人の手で植えたものとは何か異なる「違和感」を覚え、根っこの部分を仔細に観察してみると、民家の石塀とアスファルト道路が接している僅かな隙間から生え出していました。

家内の趣味仲間に写真を見せたところ、この美しい花の名称は直ちにマリーゴールドと判明しました。

原産地はイギリスかフランスのようで、民家から飛んできた種が塀と道路の隙間から地中に入り発芽したと推測するも、近くには見当たらないため遠くから風に乗って運ばれて来たようです。




この花は、春蒔けば夏に開花する一年草だそうですが、何処かの民家で夏に咲いた花の種が、今年は雨が多かったせいか、この窮屈極まりない場所で二度目の発芽、秋の開花につながったのでしょうか。

そうであれば他にも咲いている筈だと思い町内を探してみると、一キロメートルほど離れた空き地に数え切れないほど多くのマリーゴールドが群生しており、偶然にも一輪の花に一匹の蝶が蜜を吸っている場面に出くわすことにつながりました。

この蝶はマリーゴールトに良く似た色をしており、調べてみると紋黄蝶(鱗翅目シロチョウ科)のようです。













次は、我が家の車庫で育つ黄色い花です。車庫は舗装したままで土盛りはしていません。

この花はノゲシです。キク科の一年草でハルノノゲシともいわれます。

左は、花を正面から見たものですが、茎は舗装面と植木鉢との隙間から生えています。

右は、植木鉢を退けて花を後方から見たものです。
根っこが舗装面に貼りついており、どうやら、植木鉢から染み出す水分を糧に発芽・育ったようです。


自然の営みとは、力強くて不思議なものです。

【2012/07/29 続編を追記しました】
http://omoitsukisimotsuke.blogspot.jp/2012/07/blog-post_29.html

2011年11月12日土曜日

スタジオアリスについて語ってみよう

娘の息子(即ち孫)が11月17日に五歳になります。

嫁いでいる娘から、七五三のお祝いと専門店(スタジオアリス)で記念撮影をするからとの連絡がありましたので、10月の或る日曜日に一時間半もかけて嫁ぎ先まで出かけてきました。

実はスタジオアリスには娘の娘(孫娘)が三歳の時と七歳の時にもお世話になっていましたが、その際にはそこそこ高くつくものだなとの印象が残っただけで取り立てて感動した記憶はありませんでした。

今回、衣装合わせから撮影まで他のお客様の撮影風景も見物しながら順番を待ってみて、プロの仕事は我が自己流のスナップ撮影とは随分と違うものだということに気がつきました。

感心したのは衣装の多さや充実した設備のことではありません。

三歳や五歳を迎える子供がカメラの前で思うような顔をしてくれる筈は決してありません。ところが、台車に乗せた自在に動く大きなデジタルカメラを操るお姉さん(そうです女性カメラマン)が間断なく子供たちに語りかける言葉と仕草に、時には幾つかの小道具を見せ、その合間を縫って切るシャッターが実に絶妙なタイミングなのです。

我々普通のアマチュアは、「ハーイ笑ってね」と言ったら、笑った瞬間に遅れてはならじと慌ててシャッターを切っています。スタッフのお姉さんは子供が笑っても微動だにせず我々からすれば遅れたと思う、一呼吸置いてからフラッシュが光ります。

結果は、誰が見ても申し分のない顔をした、おぼっちゃま、おじょうさまに仕上がっていることは言うまでもありません。何であれ、その道を極めたプロは凄いという話です。

スタジオ内でのスチルカメラの使用は禁止されていますが動画の撮影は咎められません。昨今の携帯電話であれば、動画をスチル画像に切り取っても実用に足る画質が得られますので本当は撮影風景を掲載したいところですが、スチルカメラのみ禁止されている真意が推し測れず見送ることにしました。

2011年11月5日土曜日

ギミックなカメラ α9000について語ろう


このカメラは1985年にミノルタカメラ(当時)から発売され、その性能の高さと先進性でαの衝撃として話題になったオートフォーカスカメラα7000の、上位機種に当たる準プロ用のカメラです。

何がギミックかというと、


一番目は、オートフォーカス方式一眼レフカメラのフィルム巻き上げは自動が常識の中で、このカメラは手動巻上げでした。(勿論、オートワインダーを装着すれば自動巻上げになります)

二番目は、手動巻上げですから当然のことに巻き戻しも手動式ですが、当時、一般的だったクランクは見当たらず、露出測光方法を変更するための丸いノブを上方に引き上げるとクランク状に動くという凝ったものでした。


三番目は、グリップ部分です。

オートフォーカス方式になるまでは余り目だたなかった部位ですが、このカメラは、専用の電池フォルダーに二本の単三乾電池を詰め込んでから大きく張り出したグリップへカチンと納める楽しい仕掛けです。










これら三つの操作が加わることにより他メーカーのオートフォーカスカメラとは一線を画したデザインで、
その姿は優美でありながらも不敵な面構えだったことより、比較的新しい年代のカメラにもかかわらず
多くのクラシックカメラファンに愛されています。

この個体は、正常に動作し撮影できます。


2011年11月1日火曜日

日本製テレビは無くなるのか。

10月31日の報道ステーションで、パナソニックがテレビ事業の縮小を表明したとの報道とともに、今後は
国内の日本製テレビの販売は少なくなるのではないかとの見通しが示されました。

果たしてそうでしょうか。

国内の家電量販店の多くは、販売価格が一定の値段を超える商品に長期保証を付けています。これは、
3~5年くらいの使用中に発生する万一の故障に対しユーザーに安心を担保するための営業政策と考えられますが、実は、このことはメーカーの品質保証上にも極めて大きな影響を与えているようです。

販売店が長期保証を付加するためには保障期間内に発生した修理費用を自前で負担するか保険会社と契約するしかありませんが、何れにしても負担の目安を設定し厳格に管理されている筈で、結果として、
販売する側が、メーカー別、品種別、機種別に極めて正確に品質の実態を把握することが可能だろうと思われるからです。

一方、メーカーは市場へ出荷された後の自社製品の品質を把握することは可能ですが、自社の品質ポジションを知ることは困難です。拠って、販売店が実施する長期保証により販売店が知り得た品質データは各メーカーへの有形無形のプレッシャーにつながり、日本メーカーの家電製品の品質向上に貢献していることは間違いありません。

以上より、パイは小さくなるかもしれませんが売る側の「安くても品質の悪い製品は売らない」という姿勢、買う側の「高くても品質の良い製品を買う」という国民性がある限り、今後とも日本製テレビの販売比率は下がらないと思うのですが如何でしょうか。